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補習授業校の目的と役割
元ニューヨーク国際交流ディレクター 栗原祐司
 去る、2005年1月27日から30日までの4日間、ニューヨーク国際交流ディレクターの栗原祐司氏が任期終了直前というお忙しい中、わざわざロンドン補習授業校およびロンドン日本人学校、更には在英邦人のために、NYからおいでくださいました。その際、「補習授業校とは何ぞや」という疑問に対する回答を、次のような形でご持参くださいました。補習授業校がよく分からない、という人には十分満足のいく記事かと思います。お読みいただき、補習校への理解を深めていただければと思います。
 なお、記事掲載には栗原氏よりご快諾いただいております。
1.補習授業校とは

 補習授業校に通っている子どもたちの中には、もう十年以上通っている子もいれば、つい先日アメリカに来たばかりで、不安でいっぱいという子もいるでしょう。このような多様性が、まさに補習授業校の特色の一つなのですが、一口に補習授業校と言っても各地によって千差万別で、同じアメリカでもずいぶんと異なります。

 私は、文部科学省から派遣された「国際交流ディレクター」という仕事をしていますが、かんたんに言えば、日本人学校や補習授業校と現地校、現地コミュニティとの交流を促進したり、日本文化紹介を行うための手助け、さらには教育相談を通じた日本人の子どもたちのサポート、というような業務を行っています。これから全米を視野において、補習授業校の目的や役割というものを一緒に考えていくことにしましょう。

 現在、全米には70数校の補習授業校があります。最も大きなロサンゼルス補習授業校では幼稚園生から高校生まで約2千人もの子どもたちが通っていますが、マウイ補習授業校などのように子どもの数が十人に満たないところもあります。地域によって日系企業の業種や、いわゆる駐在者と永住者の割合も異なりますので、子どもたちの日本語能力や保護者のニーズも当然変わってきます。

 補習授業校は、日本国政府の補助を受けてはいますが公立校ではなく、基本的には現地の日本人会や商工会議所、あるいは運営団体等によって営まれている私立学校ですので、教育内容や運営形態も、こうした保護者や運営母体の意向を踏まえて決定されることになります。だからこそ、5教科以上教えて午後まで授業をしている補習校もあれば、国語(日本語)のみで午前中で終わる補習授業校、あるいは日曜日に開校している補習授業校、遠足や写生教室などまである補習授業校などなど、多様な形態が存在することになるのです。

 そして、補習授業校というのは、実は法律で言うところの「学校」ではありません。日本の法律で規定する学校でもなければ、設置されている国や地域、つまりアメリカの連邦政府や州の法律で規定する学校でもないのです。

 補習授業校の中には、「日本語学校」と名乗っていたり、英語名称も「Weekend School」であったり、「Saturday School」、「Supplementary School」など様々ですが、補習授業校は、「補習授業校である」という答えしかありません。

 しかし、補習授業校は、日本が誇るすばらしい独自の教育機関であり、校長先生を始め、各担当の先生も、運営委員さんも、保護者の方々も、補習授業校に関わる人たち全員が、そうした自覚と誇りをもって学校運営に当たっているのです。

 補習授業校は、独自の使命を持ち、現地校や日本人学校、さらには日本国内では得られない多くの可能性を秘めた存在である、ということを認識していただきたいと思います。

2.補習授業校で学ぶということ

補習授業校に通っている子どもたちの中には、もしかしたら、なんで現地校の友だちが遊んだり、スポーツを楽しんだりしているのに、自分だけ土曜日も補習授業校に通わなければならないんだろう、と毎週ぶつぶつ文句を言いながら、いやいや登校している子もいるかもしれません。

 補習授業校に通う目的は様々で、日本への帰国を前提とした子どもであれば、現地校では学ぶことのできない国語や社会を学び、進学に備えようとするでしょうし、アメリカで生まれていたり、長期間滞在もしくは永住の子どもであれば、日本語の保持や日本文化を身につけようとするでしょう。子ども自身にそういう目的意識が薄ければ、当然文句が出てくることになります。傾向としては、現地校に慣れてきた頃から、あるいは小学校高学年ぐらいから、そういうことを言い出す傾向があるようです。逆に中等部以上になると、自我が目覚めてきますから、生徒のほとんどは文句を言わずに自分の意思で通っているようです

 まず、駐在員家庭の占める割合が高い補習授業校について考えてみましょう。たしかに、現地校では日本語や日本の歴史、地理を学ぶことはできません。毎年夏に、日本での高校受験に備えて現地校から全日制日本人学校(全日校)の9年生に転校してくる生徒がいるのですが、ほぼ例外なく国語と社会が空白状態になっており、さらには理科や数学のレベルも低くなっていることもあります。これを埋めるためには相当の努力が必要となるのですが、そうした学力の補填をすべて補習授業校に求めよう、というのは筋違いというものです。それを求めるのであれば、全日校に通うか、日本で学校に通うべきでしょう。

 もちろん、補習授業校に通うことが本人の学習の大きな手助けにはなります。しかし、週一回しか授業がなく、しかも多様な学習集団である補習授業校に、毎日日本語で授業を行っている全日校と同じだけのことを求めるのは欲張りというものです。もともと補習授業校というのは、生活の中の大部分を外国の文化と言語が占めている子どもたちに、日本語と日本の主要教科の基礎・基本を学ばせ、同時に日本的な学習習慣や学校文化に触れさせることを目的として設置されていますから、いわゆる有名校進学のための学力向上を期待するのは間違いなのです。逆に、日本的な学習習慣や学校文化に触れるという点は、今は気づいていないかもしれませんが、日本に帰った後に補習授業校のありがたみを知ることになるでしょう。なぜなら、アメリカの学校と日本の学校とでは文化がまったく異なるからです。日本の学校を卒業された保護者の方なら、お子さんの現地校生活を御覧になればすぐにそのことが理解できるはずです。子どもたちが自由に次々に発言して自分の意見を言う、時には先生に対しても食い下がり、集団の規範よりも個人の創意工夫を重んじる…、そんな学校文化になじんだ子どもが、いきなり集団と調和を重んじる日本的な学校に転校すれば、たちまち不適応を起こしてしまうでしょう。補習授業校では、日本とほとんど同じ学習環境を作り上げ、運動会や餅つき大会など日本的な行事も取り入れながら、知らず知らずのうちに子どもたちが帰国後にスムーズに適応できるための土台を作っているのです。進学だけが目的であれば学習塾に通えばいいのです。補習授業校では、教科科目の学習だけでなく、そのような日本の基本的生活習慣を身につけることも重視しているということを認識していただきたいと思います。

 補習授業校でしっかり基礎・基本と基本的生活習慣を学んでおけば、有名校への進学を目指すのでなければ、たいていは日本に帰ってからうまく適応できると思います。欲を言えば、音楽のリコーダーがふけないとか、体育で跳び箱ができない(ラジオ体操は運動会で練習していると思います。)、さらには集団登校や掃除当番ができない等々いろいろあると思いますが、その程度はほんの少しの努力で克服できるはずです。何しろ、補習授業校で学んだ子どもたちは、最初はまったく言葉がわからなかった現地校で苦労して学習し、日本の子どもたちが逆立ちしてもかなわないほど豊かな異文化体験を積んできているわけですから、その程度の苦労はなんでもないと思うのです。補習授業校での国語や社会の授業も、十分ではないかもしれませんが、何もしてないよりは基礎が身についているはずです。あとは自分の努力でキャッチ・アップしていくしかありませんが、日本の子どもたちが国語や社会を勉強している間、現地校に通う子どもたちは決して遊んでいたわけではなく、異文化と外国語というより大きな困難と戦っていたのですから、決して自分を卑下する必要などないのです。

3.長期滞在・永住者にとっての補習授業校

それでは、次に、長期滞在もしくは永住の子どもについて考えてみましょう。

 長期滞在もしくは永住の保護者の方にしてみれば、まったく逆に、補習授業校で教えるのは日本語だけでいい、もっと基礎基本に限定するべきだ、との意見をお持ちかもしれません。実際、いわゆる永住者と駐在者の比率が半々、もしくは永住者のほうが多い補習授業校では、日本語の授業だけに限定したり、いわゆる永住者向けコースを設けたりしているところもあります。しかし、それは慎重でなければなりません。なぜなら、以前ある補習授業校でそうしたコースを設けたところ、当然の帰結として、それ以外のクラスと比べて授業内容の水準が低下してしまい、かえって子どもたちのやる気や能力をスポイルしてしまったことがあるからです。またある補習授業校では、さらにそれがエスカレートして、駐在者が永住者をばかにするというような差別意識まで生じてしまったこともあります。

 補習授業校というのは、先ほど述べたように、本来外国に暮らす義務教育段階の子どもたちが帰国後スムーズに日本の文化・言語・生活環境に適応できるための土台を築くことにあり、そのために日本国政府から補助金が支給され、教員が派遣されているのです。設置主体はあくまで現地の団体であるため、帰国を前提にしない子どもや、幼稚園、高校生を排除することはありませんが、残念ながら政府支援の対象としては自ずから性格がかわってきます。しかし、だからといって、永住者をないがしろにしていいものではありません。いわんや無用な差別意識が生じたり、国際結婚家庭のいわゆる二重国籍者が肩身の狭い思いをするというような事態は絶対に避けなければいけません。そのため、多くの補習授業校では、独自に幼稚部、高等部、そして国際学級を設置しています。

 永住であっても、これからアメリカ人として生きていくのであっても、苦労して毎週土曜日に補習授業校に通っているからには、必ずそこに日本語を、日本文化を学んでいこうという強い意思があるはずです。安きに流れようと思えばいくらでも流れることはできますが、それでは補習授業校の使命が果たせなくなります。補習授業校は、単なる「日本語教室」ではないからです。

 もちろん、そのためのきめ細かいフォローや援助は先生方がしてくれます。そして、先生方は、将来子どもたちが、必ず「補習授業校で勉強してよかった。」と言ってくれると期待しています。それは子どもたちに秘められた能力の伸長を信じているからです。

4.補習授業校で学ぶことの動機づけ

どこの補習授業校でもそうですが、学年が上がるにつれて児童生徒の数は減っていきます。特に、高等部を設置している補習授業校はどこも少人数ですが、高等部は例外なく真面目で優秀な生徒たちばかりです。それだけ自分の意思で補習授業校に通っている、ということの現われなのでしょう。

 
言うまでもなくアメリカは英語の世界ですから、現地校での生活を考えれば英語の方が大事です。したがって、高学年になればなるほど、「なんで土曜日にまで学校に通って日本語を勉強しなければならないのか。」、「現地校の友だちが楽しんでいる金曜日の夜に、どうして自分は補習授業校の宿題で苦しまなければならないのか。」という疑問や葛藤が当然浮かんできます。そこで、やはり保護者の方々から、その意義を示してあげていただきたいのです。それも、ただ単に「日本人なんだから当たり前」、「帰国したとき困るから頑張れ」という抽象的な言い方ではなく、これまで述べてきたような補習授業校の意義や、将来の可能性を含めて具体的に説明してあげることが必要です。日本語の読書や漢字を覚えることは、アメリカでの滞在期間が長くなればなるほど、子どもにとっては苦痛になってきます。そんなとき、子どもに日本語を学ぶ意欲や動機づけを与えてあげることが、極めて重要なことになるのです。

 昨年度のニュージャージー補習授業校の卒業生たちは、答辞で次のように述べていました。アメリカで学ぶ児童生徒の一人でも多くが、いつの日か長年にわたる補習校生活を終了し、堂々と壇上でこのような答辞を述べられることを期待したいと思います。

「今までこの補習校で学んできたことは総てこれからの私の人生の肥料だと思います。まだまだ、芽は出て来ませんが、しっかり土の中で根を張ってきていると思います。自分の前には道がない。でも自分の後には、少しずつだけど歩んできた道ができているようです。」

「補習校生活を通して学んだことは、大きく分けて三つあります。一つ目は、友人の大切さです。様々な目的や理由で皆集まって来ていますが、共通していることは一つ。それは日本語の勉強です。そんな環境の中で面白いクラスメートが集まっていて、意見や自己主張がぶつかり合い、友達も増え、自分の感受性もさらに豊かになれたような気がします。二つ目は、日本人としての誇りと自己認識が高まったことです。日本を様々な面から勉強することによって、日本人であることが誇りに思えるようになりました。日本の文化や文学作品へのあこがれを抱くようにもなりました。三つ目は、柔軟性の高い思考ができるようになったことです。たえず二つ以上の文化にさらされることにより、日本とアメリカのそれぞれの長所を取り入れ、学び、より幅広い人間となれたことが大きな収穫です。」

「補習校は学問以外に、世間に対する視野を広げて、人生をどう生きていけばいいのかを考えさせてくれた。ただバイリンガルになるだけでなく、『世界人』として、グローバライゼーションをし始めた世の中で、様々な文化をつなぐ架け橋として、異なった民族や他文化の個性を尊重して受け入れる大切さを補習校は教えてくれた。」

「大変でした。だけど、最後まで頑張ってきて、本当に、本当によかった。」

5.日本人としてのアイデンティティ

日本人としてのアイデンティティは、海外で暮す日本の子どもたちにとって避けて通ることのできない問題です。特に、アメリカで生まれていたり、滞在期間が長かったり、国際結婚であったりすれば、なおのこと大きな壁にぶち当たることがあるのではないでしょうか。アメリカに住んでいてアメリカ人であらず、日本語を話せても日本人ではなく、自分は中途半端な人間だと思い悩むことがあるかもしれません。どのグループにも混ざらない、でも混ざりたい。「何人か」と聞かれた時の心の葛藤。グローバル社会になったとはいえ、これは永遠の課題でしょう。

 補習授業校には、そうした悩みを一緒に考えてくれる友だちがたくさんいます。また、日本語や日本文化を勉強したり、多くの出会いと別れを通じて(実際、補習授業校ほど転出入が多い学校はありません。)、いろいろ自分のことについて考える機会があります。経験豊富な先生方も、時には人生について語ってくれることもあります。やや大げさに言えば、補習授業校は、単なる教科学習だけでなく、日本人としてのアイデンティティや人格形成、さらには心のケアの観点から無限の可能性を秘めているといいでしょう。たたでさえ子どもたちは、現地校で多様な文化や価値観に触れ、日本では経験できないような様々な経験をし、グローバルな感覚を身につけているのですから、補習授業校に通うことによって、世界の中の「日本人」としての意識が高まることは間違いないのです。

 私が説明するよりも、子どもたちの生の声の方が説得力があるので、引き続き、他の補習授業校の卒業生の答辞をいくつか見てみましょう。みんないろいろ悩みながら、補習授業校での生活を通じて自分なりに答えをみつけ、成長している様子がうかがわれます。こうした声を保護者の方々が咀嚼して、補習授業校でがんばっている子どもたちに伝えていただければと思います。

「様々な文化が入り混じるアメリカは、多くの文化にふれ、吸収できる場所です。その反面自分を見失いやすい場所でもあります。補習校での勉強は私の日本人としてのアイデンティティを失わずにアメリカの文化や社会の中に溶け込むことを許してくれる最強の武器を与えてくれました。日本人でもあり、アメリカ人でもあるという最適条件を補習校で見つけることができました。」

「どんなにアメリカ人になろうとしても、アメリカ人と同じように英語を話せても、私が日本人でことを変えることはできません。私は、今の私の友達をみて、去年まではあれほど嫌がっていたこの事実、日本人であることを心から嬉しく思っています。そして、このような人たちに出会うチャンスを与えてくれた、また自分自身の日本人としての誇りに気付かせてくれた補習校にとても感謝しています。私はここまで補習校を続けてきて本当によかったと思っています。」

「進級調査書を出す直前、僕は悩みました。補習校をやめるということはつまり普通のアメリカ人と同じように生きていくということだと気づきました。果たして、日本で生まれ、十年も生活していた自分が、たった四年でアメリカ人のように生きていけるのだろうか。答えはノーでした。僕はやはり日本人であって、他の国に住んでいるといっても、やはり自分の中の日本人の部分を捨てて生きてはいけないのだと実感しました。結局は高等部へ進学することに決めました。補習校は、とてもユニークでありがたい場所です。高校生から幼稚園までの子どもたちが一緒になって母国語をアメリカにいながら学べるのです。」

6.ポジティブ・シンキング

ロンドン補習授業校の富澤敏彦校長先生が全都道府県から抽出した学校に向けて行ったアンケート調査の結果によれば、現地校と補習授業校を経験した子どもたちは、「自主性・責任感・根気強さ・創意工夫・公正さ」において、日本国内の子どもたちよりも優れているとの評価を得ているそうです。考えてみれば、これは当たり前のことです。最初は言葉も満足に通じない現地校で、子どもたちは自分なりに思考を巡らし、判断し、何とか状況を理解しようと根気よく耳を研ぎ澄ませています。そのときの集中力というものは、日本の学校では考えられないほどのものでしょう。保護者の方々も、アメリカに来たばかりの頃は、ちょっと難しい買い物や注文をするときは、いろいろと英語の言い回しを考えながら苦労された経験があると思いますが(今でも苦労されている方も多いと思います。)、子どもたちは月曜日から金曜日まで、一日の大半をそういう環境の中で過ごしているわけです。ある意味、日本ではほとんど経験できないような武者修行を毎日行っているわけですから、日本に帰国してから高い評価を受けるのは当然のことなのかもしれません。しかも、土曜日にまで学校に通っているのですから、本当に大変なことだと思います。そんな子どもたちに、ぜひとも「毎日よく頑張っているね。」と激励の言葉をかけてあげていただきたいと思います。

 しかし、だからといって、すべての子どもたちが親の転勤の犠牲になって悲壮な決意で学校に行っているかというと、決してそうではありません。中にはこうした貴重な経験をポジティブに捉え、補習授業校を楽しんでいる子どもが多いのには驚かされます。次に、少し長いですが、中部にある補習授業校の生徒(中1)が書いた作文を紹介しましょう。すごく立派な作文で驚いていますが、みんなこれくらいの意欲で補習授業校に通ってくれるとうれしいですね。

「現地校でいつも、『毎週土曜日は、学校に行っているよ。』と言うと、友達はみんな驚きます。土曜日には、その人たちは、外でバスケットボールをやったり、友達と映画を見たり、朝は遅くまで寝ているので、学校に行っている私に向かって、『かわいそうだね。』と言います。でも私はそれについて、反対の気分を持っています。日本語補習校は、私の人生にとてもよい影響を与えています。毎週がんばって勉強をやっていることが、家でらくちんするより、大人になる時に使えると思います。
 英語と日本語を二つも話せることは、とてもいいことだと思います。補習校と、現地校の二つに通っているので、二つの変わった教え方から色々と学ぶことができます。それに、他の国の言葉を話せる子供達は、考えたり、覚えたりする力が強くなり、脳がもっと発達すると言われています。英語と日本語が話せるから、大人になって日本でもアメリカでも働くことができるし、更に他の国の言葉を習うことが、もっと簡単に出来ると思います。
 そして、二つの国の言葉を話せるお陰で、人生の中で出会える人が増えています。補習校に行くから、日本人の友達ができて、現地校に通っている理由で、アメリカでも友達がいます。もし、私がどちらかの言葉を話せなかったら、こんなにたくさんの友達を作れるチャンスは、人生になかったでしょう。(中略)
 言葉だけではなく、文化の違いや考え方の違いもわかります。いつか両方の国に役立つ仕事をしたいと思います。そのためにこれからも、補習校に毎週通って行って、どんどん学んでいきたいと思います。」

7.日米それぞれのよさを知る(多様性の涵養)

新渡戸稲造を御存知でしょうか。日本の五千円札の顔になっており、『武士道』という有名な本がありますので、一度読んでみていただきたいと思いますが、実は彼は二十世紀前半当時、国際的知名度が極めて高く、国際連盟事務局次長等の要職で活躍され、欧米で数多くの講演を行い英語で文章を綴った戦前の国際人です。

 その新渡戸稲造も、最初から国際人であったわけではなく、もともとは南部藩士の三男として盛岡に生まれ、その彼が勉強するためにアメリカへ旅立ったのは、1884(明治17)年のことです。

 そのときの留学体験は『帰雁の蘆』という随筆集に書かれていますが、彼は船中で、あるスコットランド人の老人と知り合います。いよいよサンフランシスコに上陸する前日、この老人が彼を呼んで、次のように語ったそうです。

「愈々(いよいよ)明日は亜米利加(アメリカ)の大陸に着く、君はこれから豪(えら)い所を見るんだ、西洋の習慣にも悪い事が沢山あって、君の国に劣る事も多い、然(しか)るに君は悪い事を研究する為(た)め万里(ばんり)の波濤(はとう)を超えるのではない、御国の益になる様な事にのみ着眼して善(よ)き事許(ばか)り学んで来なさい。」(ふりがなは筆者。)

 新渡戸稲造は、上陸後にたくさんの日本人が知ったかぶりをして、アメリカの欠点をあげつらうのを聞いて、この老人の言葉を思い出します。そして、新渡戸稲造は、次のように語っています。

「何邦(どこ)へ行つても、彼が長を採て我が短を補ふの材料にしたいもんだ、(中略)宝の山に入って犬の糞を拾ひ集めて喜こぶ通人もあるには呆れる、それなら遠方に行かずとも内に居りや玄関の前にもあるに。」

 つまり、外国の悪口ばかりを言わず、日本にない良いところを取り入れて、自らの能力を磨き母国の役に立ちたい、という、とても積極的な考え方だと言えます。

 これは現代でも同じです。補習授業校に通っている子どもたちの作文を読むと、その大部分は、アメリカの生活、文化、学習と日本のそれとの違いに驚き、喜び、前向きに捉えている場合が多いのですが、時々「日本のほうが良かった」「アメリカはこれがよくない」「アメリカではこんなひどいことがある」という意見も見られます。また、英語のスラングばかり覚えてくる場合もあるようです。もちろん、物事を客観的に捉え、反面教師的に批判的な観点を養うのは非常に大切なことです。ただし、何事も日本が一番、アメリカには学ぶことはない、と否定的な捉え方をしてしまうと、せっかくの貴重なアメリカ経験が無駄になってしまいます。逆に、必要以上にアメリカを絶賛し、日本のことを悪し様にいうのも困ったものです。日本に帰ってから何かにつけ「アメリカではこうだった、ああだった」とばかり言っていると、周囲から孤立して「出羽守」とか「出羽の海」とか言われたりしてしまうので、注意が必要です。日本人として、日本のよさを十分認識した上で、アメリカのよさも認めること、それが国際性、多様性の涵養というもので、補習授業校においても重視している点です。往々にして子どもは親の言っていることの影響を受けます。保護者は第二の担任です。日頃の何気ない言動にも気をつけたいものです。

8.補習授業校出身であることの誇りと自信を

補習授業校には、義務教育段階の児童生徒数が100人を超えると日本国政府から派遣教員が1名派遣され、400人を超えるごとに2人目以上が派遣される仕組みになっています。

 派遣教員のいない補習授業校は、米北東部にはロチェスター、バッファロー(いずれもニューヨーク州)、ハートフォード(コネチカット州)、セントラルペン(ペンシルバニア州)などがありますが、いずれも児童生徒数20人以下の小さな補習授業校ばかりです。教員の確保や授業時間の確保等に苦労しているのはどこも共通で、特に最近は、いわゆる永住者の割合の増加に伴う児童生徒や保護者のニーズの多様化への対応に苦慮しているようです。例えば、三人しかいないクラスでも個々の日本語のレベルが全く異なり、三様の準備が必要とされる、という報告もあります。ある意味それは補習授業校の永遠の課題といってもいいのかもしれませんが、その対応に当たっては、教育のプロである派遣教員がいるのといないのとでは大きく異なります。その点では、派遣教員のいる補習授業校は大変恵まれていると思います。

 さて、冒頭述べたように、アメリカには70数校の補習授業校があり、約1万3千人の子どもたちが学んでいるわけですが、実はこの補習授業校(補習校)、あまり日本では知られていません。おそらく保護者の方々も、渡米が決まるまで補習校の存在を知らなかったという方が多いのではないでしょうか。実は、それは文部科学省内でも例外ではなく、おそらく留学経験や国際関係など直接担当でもしていないかぎりは、「補習校って何?」という人が多いのではないかと思います。現在国際関係で活躍している方の中には、補習校出身者が結構多いのにも関わらず、そのことがあまり知られていないのは、一つには滞在時期のタイミングで補習校を卒業していない、ということもあるでしょうし、アメリカの学校で勉強したということはセールス・ポイントになっても、補習校で勉強したということはあまり自慢にはならないと考えて、帰国後に積極的に補習校出身であることを話さないということもあるのかもしれません。

 しかし、補習校に通っている子どもたち、そして保護者の方々は、補習校の重要性を十分理解していると思いますし、今後の国際社会を担っていく金の卵が補習校の子どもたちの中にたくさんいることをよく御存知のはずです。そうであればこそ、帰国後も補習校出身であることを声を大にして語っていただき、「補習校の出身の方は、優秀な方ばかりでさすがですね」と、評判になるくらいにしていただきたいと思うのです。そうなることによって、海外への赴任に当たって、学齢期の子どものいる家庭も安心して渡米できますし、派遣する企業としても心置きなく派遣できるというものです。また、ますます補習校の水準が向上することも期待されます。

 グローバル化の中でこれからの日本に必要とされるのは、語学力もさることながら、先進諸国に対して臆することなく対等に立ち向かっていける度胸と、経験に裏打ちされた国際的な知識と教養を持ち合わせた人材です。私は、こうした人材は補習校で学ぶ子どもたちの中から多数輩出されるものと信じています。アメリカの補習授業校で学ぶ子どもたちの今後の活躍を大いに期待し、引き続き私ができることは全力で努力していきたいと考えています。がんばってください。 

(ニュージャージー補習授業校の学校だよりで連載したものを一部修正。)