こんぺいとう   
《作文》 私の日本文化体験    フィンチリー 小6 
 私の日本文化体験は茶道です。私が茶道をやったのは6年前、ようちえんに入る時でした。そこで、いろいろなことを習いました。
 私がまだ小さかったころのことなので、教わったことはあまりくわしくはおぼえていませんが、お茶をたてたあとに「川」と「の」を書くようにして混ぜる、お茶を飲む時はもようのついていないところから飲む、お茶がしは紙をもちながら食べるや出入りの時は、たたみのふちをふまないように歩くことなどを教わりました。3学期くらいにホールで大人にお茶をいれて飲んでもらう会もありました。
 私のようちえんのころの楽しみは茶道でした。最初はお茶をたたせてもらえなかったのでとてもつまらなかったのですが、お茶をたたせてもらいはじめた時はとてもうれしかったし、楽しかったです。
【評】 幼稚園の頃の貴重な体験を書いてくれました。ぜひ、また機会があったら体験してみてくださいね。

《日記》 こまつなとラディッシュ      アクトン 日3
1日目 
 2日前にうえたたねから、めがでました。ラディッシュとこまつなのたねです。
 こまつなが6つ、ラディッシュが13こめがでています。ラディッシュのめのほうが、こまつなのめよりもおおきいです。
4日目
 こまつなのほうがこいみどりで、ラディッシュは、うすいみどりです。どちらも、かたくてザラザラしています。葉っぱのにおいがします。
中略
22日目
 あしたイギリスに帰ります。かんさつできるのがさいごです。
 15センチです。まだ食べられません。おばあちゃんは、あと5日で、食べることができると言いました。ばったと、け虫がとまって食べていました。
【評】 小松菜とラディッシュが育っていく様子を比べながら観察 しているところが、観察名人です。

《小論文》 自由な選択    アクトン 高3
 自由に選択するということは、不自由な世界へ進んで足を踏みだすことにほかならない。資本主義の社会では、自己主張のつもりで衣服を買っても、流行という大きなうねりのなかであらかじめ用意されたものの中から選ばされているに過ぎない。自己主張のつもりが逆に大多数の中にうもれていってしまう。もはや自由とはとうてい言い切れない、不自由な世界に知らない間にからめとられているらしいということに気づかされた。
 「自由とは選択の責任である。」とドラッカーが言っている。「自由とは楽しいものではない。幸福、安心、平和、進歩のいずれでもない。それは、選択の責任である。楽しいどころか重荷である。それは、自らの行動と社会の行動に関わる選択の責任である。」
 選択の責任を負うということは、選択の範囲内だけをみるのではなく、そもそも選択の範囲の外に、選択しないという選択肢があるのかないのか、広い視点で見極めた上で、自分自身とよく相談して選択しなければならないということだ。
 人は生きていく上で繰り返し「選択」に直面する。些細な選択から重大な選択までさまざまあり、図に表そうとしたら、複雑極まりないものが出来上がるだろう。
 社会へ出る前に「自由な選択」という簡単なようで難しい、単純なようで複雑な定義について考えることができた。とても有意義だったと思う。今、僕たちは、大きな選択の一歩手前にいる。重要な選択の場では、資本主義に代表される見えない力をも確認した上で自身や社会に対し、責任を持って選択することが大切だ。立ち止まって考え、自分らしい選択をしていきたいと思う。
【評】 評論に述べられた筆者の見解をしっかり受け止めた上で「自由な選択」にどう向き合おうと思うのかを、素直な筆で述べることができました。ドラッカーの引用が効果的です。

《作文》 羽があったら    クロイドン 小2
  ぼくは羽があったら、空たかくとびます。そして、ひこうきときょうそうしたいです。
 とんだあとは、ぬるいおふろにはいって、はねをよくあらいます。クリームでマッサージしてねむります。
【評】 羽を使って楽しんだ後のアフターケアまでしっかりと考えていてびっくりしました。○○くんの優しさが表れているようです。

BACK