こんぺいとう  平成25年度 
《作文》 車のかぎ   クロイドン 小6 
 ぼくは、悪くない。
 3月9日に、フェンシングの大会へ行った。ホテルで朝おきた時に早くきがえた。朝ご飯を食べた後、車ににもつをつんだ。
「さあ、出かけようか。」
とお父さんが言った。
「○○、かぎちょうだい。」
「え、ぼくもってないよ。」
「でも、○○が○○にあげたと言ってるよ。」
 お姉ちゃんはかぎをトランクのふちに置いて、そのことをぼくに話したらしい。でも、ぼくは聞いてないよ。お姉ちゃんはぜったいに言ったと言いはる。
「早くトランクを開けて、かぎを探して。」
とお父さんが言った。三人で車に向かって走った。お父さんの車のドアは、時間がたつとオートロックがかかってしまう。おそかった。もうオートロックがかかっていた。
「○○、なんでかぎをたしかめずに、ドアを閉めるんだ。だめじゃないか。」
とお父さんは、ぼくをおこった。でも、聞いてないもん。ぜんぜんそんなこと聞こえなかった。AAの人が来た時も、お父さんはぼくのせいにした。その時から、そのことをぼくはくやしいと思っている。
 AAの人もドアを開けられなかった。その日はすごく寒かったのに、お父さんのジャケットは車の中だった。その後たくさんの人にめいわくをかけた。だからお父さんのおこる気持ちも分かる。でも、やっぱりぼくは悪くない。

【評】 場面の描写や心情がとてもよく書かれています。

《日記》 八月二十一日   フィンチリー 小1
 ぼくは、なつ休みにポルトガルのアルガルベとリスボンへ行きました。アルガルベのうみはとても広かったです。
 はじめにぼくたちは、ビーチへ行きました。そとはロンドンよりあつかったのに、うみの水はすこしつめたかったです。ぼくは、そとのおんどと水のおんどはおなじでないことをはっけんしました。
 ぼくたちは、でん車でリスボンへ行きました。リスボンでは、キッザニアに行きました。ぼくは、前に日本のキッザニアに行ったことがあります。そのときはいとこと行き、とても楽しかったです。リスボンでは、七つのしごとをやりました。その中で、車をうんてんするしごとが一ばんすきでした。ぼくがのりたかった車にのれて、レースで二ばんになれてうれしかったです。
 プールとキッザニアがとても楽しかったです。また、ポルトガルに行きたいです。

【評】 旅行中思ったことや体験したことを、しっかりとたくさん書けました。

《小論文》 「馬盗人」が私達に教えてくれること   高3
 「馬盗人」に登場する武士たちの行動を読み取ると、彼らは論理的思考を持った人物であったことが分かる。周りの状況を頭の中ですばやく整理し、それから得た情報を用い瞬時に行動へと移る。これは頼信が馬盗人を追っている場面から最も明確に読み取ることができる。頼信は馬盗人が向かった先などは見てはいないが、馬が関東から来たことと、馬盗人が馬を運んでいる道中に馬を見かけ、京にある彼の屋敷へとついてきたことを考え、東へ行くにはかならず通る関山へと向かった。その後も馬の足音だけで馬盗人の位置や状況を判断し、すばやく彼を射れとの命令をだす。命令が出終わる前に弓を放った頼義の行動を見ると、彼もまた論理的思考の持ち主であり、父と同じくらいの判断力があったことが分かる。
 また「馬盗人」を読んでいると、昔の武士たちはお互いを良く理解していたことが分かる。頼信と頼義の関係を見ると、彼らは以心伝心の関係であったことは明白だ。お互い言葉ではなにも言っていないのに、互いの考えていることを良く理解している。これもまた馬盗人を追っている場面から読み取ることができる。頼信と頼義は「馬が盗まれた」との叫びを聞いた後、互いにその叫びを聞いたかどうかの確認をしないまま、個々に馬盗人の後を追う。先に出た父、頼信はすぐにあとから頼義がついてくるであろうことを確信しており、頼義もまた、父が先に出て馬盗人を追っているだろうと考えていた。これは親子だからできた行動かもしれないが、頼信の家来もまた命令が出されていないにもかかわらず、すぐに主人の馬を取り返しに出るところから、主人のことを理解していることが分かる。
 現代の私達の中にも、論理的思考を持つ者は少なくはない。国を動かす政治家や、企業を動かす役員、警察、医者など、論理的な考えを持っていないといけない職場で働く者はとても多い。しかし今の社会、お互いをきちんと理解しているかどうかは疑わしい。職場や学校での多種なハラスメントやいじめは、年々増え続けている気がする。これらが多発する理由は、やはりお互いのことをきちんと理解しておらず、相手の考えや気持ちを尊重し、尊敬していないからだと思う。近年の親子関係を見ても、頼信と頼義の様な以心伝心の関係を持っている者は少ないのかもしれない。互いのご機嫌だけを取って本当に理解し合っているわけではないから、親子関係が問題で起こる事件が増えていっているのかもしれない。
 こう考えると、私達が古典を習う理由は、ただ単に教科書に載っているから、試験に出るから、ではない。「故きを温ねて新しきを知る」ということわざがあるように、昔の人の知恵や行動は、現代の私達に足りないものを教えてくれる。頼信や頼義、そして家来たちが見せた、互いへの忠誠や尊敬心、理解する心は私達がまねするべきものだと思う。

 
【評】 作品理解にとどまらず、それを出発点にして自分なりに考えたことがよくみえます。




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