こんぺいとう  平成25年度 
《日記》 キッザニアでの一日  クロイドン 旧小1 
 ぼくは、キッザニアにいきました。いとこといきました。
 さいしょに、カーデザインをやりました。それから、ピザをつくりました。こうじげんばで、スカイツリーをつくりました。さいごに、はいしゃをやりました。
 やったおしごとの中で一ばんすきなおしごとは、カーデザインです。カーデザインがすきだったりゆうは、ぼくはえをかくのがすきだからです。
 たのしかったです。またいきたいです。
【評】 とてもたくさんのお仕事にチャレンジできて、良かったですね。キッザニアでの一日のことがとても詳しく書けました。

《作文》 ことわざカルタ大会の感想  フィンチリー 旧小4
 今日、ほ習校でことわざカルタ大会がありました。わたしは、カルタを何まいとれるかと、とてもしんぱいでした。
 ホールに着いてマットにすわったとき、どきどきしました。いっしょのグループに、とても早くカルタをとれる人がいました。わたしは、ことわざがわかってもカルタを見つけられませんでした。わたしは、とれない自分にいらいらしました。次こそはと思いましたが、だめでした。
 練習のときは四まいとれたのに、本番では一まいもとれませんでした。ざんねんでした。
【評】 残念でしたが、一生懸命に取り組むことができましたね。

《随筆》 補習校の友達の大切さに気づいた  アクトン 旧小6
 六年間、今考えると長い間一緒に勉強してきた、一週間に一度会える友達。私はその友達と色々なことを話し、色々な経験もすることができた。現地校でいやなことがあっても、補習校に別の友達がいると思うと、少し元気になることもあった。そんな友達と六年間一緒にいられたことは、素晴らしいことだと思う。
 去年の秋、突然、とても仲良くしていた補習校の友達の〇〇ちゃんが、補習校に来なくなった。私も私の友達もびっくりしてしまった。何も聞かされていなかったからだ。後から連絡があり、補習校をやめて、自宅でお母さんと勉強することにしたらしい。淋しい。でも私にはそれを少し理解することができた。
 〇〇ちゃんと再会できる日が来た。〇〇ちゃんが、補習校で仲良くしていた友達を「お誕生日お泊まり会」に招待してくれたからだ。お互いの家が遠く離れているため、自分で会いに行くこともできず、もう会えないと思っていた私は、この招待を飛び上がって喜んだ。
 当日、私たちは長く会えなかった時間の穴をうめるためにたくさんのことを話し、笑ったり、さわいだりした。でも私の心の中には淋しさがあった。なぜならまた会えなくなってしまうからだ。でも、私はこの大切な友達のことを忘れることはないだろう。この六年間、たくさんの友達に出会い、勉強が大変なときも励まし合い、特別な時間を一緒に過ごした。
 この忘れることのない素晴らしい思い出は、私の心の中にいつまでも残ると思う。 
【評】 小学部六年間の最後に相応しい、素晴らしい随筆が書けましたね。補習校でできた友達とこれまでの特別な時間を大切に、中学部でもしっかり頑張ってください。応援しています。

《小論文》 言葉の暴力  旧高2 
 言葉は、私たちの生活の中で様々な役割を持っています。その言葉は人を感動させたり、なぐさめたり、喜ばせたりすることができます。しかし同時に、言葉は人を傷つけるために使われることも多くあります。
 英語のことわざに次のようなものがあります。「Sticks and stones may  break my bones but words will never hurt me.」しかし、これは全く現実的なことではないと思います。明らかに、言葉は人を身体的に傷つけることができます。
 例えば、まず思い浮かぶのは学校でのいじめです。実際に身体的な暴力をふるうことなく、それと同じぐらいの、もしくはそれ以上の傷を人の心に与えたりします。小学生のときに、友達が悪口を言われて、具合が悪くなったり、給食をあまり食べていなかったりしたことなどを覚えています。
 また有名な話では、オーストラリアのクリケットチームが、試合中に汚い言葉を使って対戦相手の感情を揺さぶり、勝利を収めることに成功した例もあります。このように、暴力的な言葉は感情を直接攻撃することによって、結果として身体的にも影響を及ぼしたりします。
 言葉の使い方や、相手の受け取り方によっては、人を傷つけてしまうこともあるということを、私たちは理解しておく必要があります。なぜなら、言葉の世界の中では、言葉は具体的な形を持ち、生身の身体までも支配することができるからです。
【評】 大変論理的にまとめていますね。  素晴らしいです。


BACK