こんぺいとう  平成24年度 
《詩》 パンケーキ フィンチリー  小3
 シュー シュー ジュ
 パンケーキやくおと
 シュー シュー ジュ
 パンケーキたべた
【評】 繰り返しという方法を使って、リズム感のある楽しい詩を作りましたね。それぞれ、様子や気持ちがよく伝わってきます。

《詩》 ぼくはげんき  小3
 ぼくはげんき
 いもうともげんき
 ママとパパもげんき
 みんながげんき
 ぼくはきょうもうれしい
【評】 繰り返しという方法を使って、リズム感のある楽しい詩を作りましたね。それぞれ、様子や気持ちがよく伝わってきます。

《詩》 友だち  小3
 友だちはやさしい
 友だちはおもしろい
 友だちはたすけてくれる
 友だちがいれば学校にも行きたくなる
 友だちはけんかをする
 でもすぐなかなおりする
 だから友だちは大切
【評】 繰り返しという方法を使って、リズム感のある楽しい詩を作りましたね。それぞれ、様子や気持ちがよく伝わってきます。

 《感想文》 「イギリス人と日本人」を読んで  アクトン 中3 
 近頃本を読んでいなかった私が久しぶりに手に取った本が、「イギリス人と日本人」だった。しかも、自分から選んだわけではなく、母に渡されたのだ。しかし、特に抵抗はしなかった。題名からして、私の生活にふさわしいと思ったからだ。
 この本は、イギリス人の著者が日本人とイギリス人を比較して書いたものだ。彼は日本に長年住んだことがあるので、日本人の考えや習わしをよく知っている。
 読み終えて最初に思ったのは、二つの国の特徴を上手く引き出した比較だ、ということだ。日本人とイギリス人の共通点について深く掘り下げた後、お互いの違う点を比べている。比べるときは、一方にあってもう一方にないのはおかしい、と批判するのではなく、違いを面白おかしく説明する。そこに、日本人が持ちがちな、イギリスやイギリス人に対する先入観が混じっていることでより笑いを誘う。どちらかに寄らず、中立な立場で書かれているのも読者に好感を持たせるのだろう。
 私が一番筆者に共感したことは、イギリス人のユーモアについての話だろう。イギリス人はよくユーモアの手段として皮肉を使う。皮肉を使うと笑うきっかけになるし、たとえ批判の皮肉であっても、少し和らげられて聞こえる。特に戦前の雑誌には皮肉を用いた風刺画がたくさん掲載されているのを見たことがある。しかし、筆者は日本人がそれを理解するのに苦労すると言う。確かに、と私は思った。イギリスに住み始めて十年目の私は、無意識に皮肉を多用してしまう。外国人が周りにいる現地校では、いつも使っているようだ。もちろん、イギリスに長い間住んでいる日本人の友達だって分かる。だが、どうしても通じないのが母だ。日本で生まれて、日本で育った母。イギリスに暮らしているからといって、私ほど英語、いやイギリス人の気質を持った人と接していない。だからなのだろうが、私が皮肉を言うとそのまんまの意味で解釈してしまい、混乱する。むしろ、母はユーモアを遠回りではなく直接的に出すのが好きだろう。
 最後に、この本に気付かされたことがある。それは、日本とイギリスの意外な共通点だ。筆者日く、「二都物語」だ。例えば、ロンドンが東京にあり、東京がロンドンにあるらしい。日本橋がロンドンブリッジ、上野がサウスケンジントンやリージェントパークだそうだ。読んで、納得した。世界の反対側にあるのに、似た都市があるのは不思議ではないか。
 これからは、自分からイギリス人と日本人を比較しようと思う。どちらにも良いところはある。だから、それを満喫してイギリス生活を送ったら、より良い思い出ができるはずだと思う。
【評】 私もお母さんと同じ反応ですね。両方の文化や国民の気質に通じている人ならではの文章ですね。次は○○さんが気付いた比較論をお願いします。

 《創作文》 私の助長  高1
 黄色の帽子を被ったおばあちゃんは、重い買い物袋を二つ持って長い坂をゆっくりと歩いていた。Aさんは遠くから、おばあちゃんが五メートル歩くたびに休憩しているのを見て駆けつけた。そしておばあちゃんの重い荷物を代わりに持った。しかし、Aさんは石に躓いて、持っている買い物袋を落としてしまった。歩道にはじゃがいもや玉ねぎが転がっていった。おばあちゃんが大好きな卵も全部割れていた。まさに、「天下の苗を助けて長ぜしめたる者、寡なし。」である。 
【評】 詳しい描写が臨場感を醸し出しています。今日では「促進」と同義にも使われる「助長」ですが、原義を知ることでより深く理解することができるようです。

 《感想文》 「火垂るの墓」を読んで  クロイドン 中1
 これは、戦争中に父と母を亡くした、兄の清太と妹の節子の悲しい物語です。父は戦争に行き、母は防空ごうに行く途中で爆げきにあって死んでしまいました。兄姉二人はおばさんの家に行きましたが、食べるものもないので二人で暮らすことにしました。そこは湖の近くで、夜になると蛍が光り、食べ物がない二人に笑顔を与えてくれました。翌日、蛍は死んでいました。毎日兄姉はお墓を作りました。蛍の光が唯一の心の安らぎでした。でも安らぎだけでは生きていけません。節子も清太も死んでしまいました。
 二人の兄姉がかわいそうで、涙がたくさん出ました。戦争とはむごいもので、子どもたちが自分の力で生きていかなければなりません。本当にこんなことが起こるなんて信じられませんでした。もし今、戦争が起こったとしても、私が姉と二人で生きていくなんて考えられません。きっと蛍の光だけが彼らの生きがいだったのでしょう。私たちはなんと平和な時代に生まれてきたことでしょう。朝、昼、晩と、何もしなくても母がいつも食事を作ってくれます。これからは、この清太と節子の話を忘れず、母の作ってくれた食事をありがたく、残さないように食べるよう心がけていきたいと思います。
【評】 このような時代があったことをいつも私たちは忘れずに、命の尊さを胸にしっかりと刻まなくてはなりませんね。

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