こんぺいとう  平成23年度 
12月10日 vol.28
《作文》 「ぼくのたからもの」 クロイドン 小1 
 ぼくのたからものはピアノです。ぼくが3さいのときにかったのです。
 ぼくのピアノはまっくろです。たかさは、ぼくのはなのたかさです。はばはひろくて、ぼくがりょうてをのばしてもとどきません。
 ピアノをかったとき、いすもきました。
 ピアノはダイニング・ルームにあります。ピアノのおけいこにつかいます。
 どうしてたからものかというと、ピアノのおとをきくといいきもちになるからです。
【評】  ○○くんの宝物がどんなものかよく分かりました。どのくらいの大きさなのか、自分の体と比べたのは分かりやすかったですね。どうして宝物なのか理由もはっきり書けました。 

《作文》 「ぼくのたからもの」  クロイドン 小3
 ぼくのたからものは、サッカーボールです。なぜなら、ぼくはサッカーがすきだからです。ゴールキーパーになったり、ドリブルやシュートをできるから楽しいです。
 スペインのバルセロナのチームをおうえんしています。バルセロナのチームの中でいちばんすきなプレーヤーは、ストライカーのダビッド・ビジャです。ダビッド・ビジャは、たくさんのゴールをするからすきです。
 ぼくは、この前、ちかくの公園で、お友達とお父さんと弟でサッカーをしました。本当に楽しかったです。ときどきぼくと弟だけでサッカーを庭でします。
 サッカーは本当に楽しいです。ぼくは、サッカーが大好きで、サッカーボールがぼくのたからものです。
【評】  どんなにサッカーが好きかがよく分かりました。ボールがあれば、どこへ行ってもサッカーができますものね。これからも大切にしてください。 

《詩》 「小さい秋みつけた」  フィンチリー 小3
 風がふいて
 はっぱたちが赤や黄色になって
 木からおちて
 落ち葉になります。
 りすが木のみをみつけて
 楽しく食べて
 よかったね。
 あきがきて
 わたしはやきいも食べたいな。  
【評】 みんなにとっての食欲の秋ですね。 

《作文》 「『羅生門』に見る人間の弱さ」   アクトン 高1
 『羅生門』を通して、芥川龍之介が何を伝えたかったかを一言で言えば、「人間の弱さ」だろう。生きるか死ぬかの究極の選択をしなければならないから仕方なく悪の道を選んだかのように物語は書かれているが、実は下人も、老婆も、そして蛇を干し魚と言って売っていた女も、選択などしていないと私は思う。
 善と悪の境目は、夕方と夜との境目のように、限りなくあいまいで、簡単に越えてしまえるものだ。
 3人の登場人物の中で、最も要領が悪く世渡りが下手なのが下人で、次が老婆、そして、ずるいが一番賢く生きたのが、蛇を干し魚と言って売っていた女だろう。そして、一番優柔不断で、これからのことを何も考えずに、周囲の人や状況に流されるまま行動する単純な人間が下人であり、罪悪感を持っているから、生きている人間は利用できないが、生きていた時に悪い人間だった死人ならよいと、その髪の毛を抜いたのが老婆で、生きていた時から、上手くだますことができればそれでよいと、迷うことなく蛇を堂々と売っていたのが、死んで老婆に髪を抜かれている女である。
 これらの登場人物の共通点は、自分がしたことが社会的には悪いことだと知っており、生きるためと称して悪事を働いていることである。
 だが、3人の行為は本当に生きるために仕方なくしたことだろうか。蛇売りの女は、お金があっても違う方法で人をだましていただろう。老婆も,悪い人間には悪いことをして良いのだという身勝手な自己正当化により、悪事を働いていたに違いない。そして、下人は、安定した仕事を持っていても、自分で決断し行動する強さも信念もないだろう。つまり、3人とも、悪事でも何でも、皆がしているから自分もするというだけなのだ。
 人間は弱い。そして、悪いことをした時は、もっともそうに聞こえる理由を探そうとする情けない生き物だ。しかし、だからこそ、私は『羅生門』に出てくる3人の登場人物を反面教師として、強くありたい。行動した後から理由をつけて生きる人生ではなく、自分の考えをもって堂々と胸を張って生きてゆこうと読者を奮起させる物語だと私は思う。
【評】  人間は常に自分の行為は正しいのだという証明を求め、それを頼りに生きているという考えには納得させられます。文芸作品は、必ずしも道徳を教えるためのものではありませんが、悪を肯定するかのような芥川の作品を、自分なりに読み、考えた点がすばらしいです。

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