こんぺいとう   
3月5日 vol.39
《作文》 「私にとっての補習校」 クロイドン 中3
 私がクロイドン校舎に通い始めたのは、小学校5年生の9月で、同じ頃イギリスの女子校にも通い始めました。日本では幼稚園から11歳まで同じ学校にいたので、先生も生徒も全員私のことを知っていましたし、私も知らない人はいませんでした。ところが補習校は違います。1学期をすでに終え、お互いのことをよく知っているクラスの中に入っていくのは簡単ではありませんでした。授業もただ座っているだけの状態で、自分が何を勉強しているのか、ほとんど把握できていませんでした。ですから、この頃毎週末、補習校に通うのが苦痛でした。
 一方、現地校でも日本人は私1人で、生徒も先生も日本について知識がある人はほとんどいなかったので、私は完全な異星人でした。母の作るお弁当は、何が入っていても「あいつは毎日すしを食べている。」と言われ、ひじきを見て「ありを食べている。」と言われたこともあります。日本語を聞いたこともないのに、私の英語は強い日本語のアクセントがあって変だとも言われました。現地校では何でも上手くできて当たり前で、もし何か他の人と違うことをしたり間違えたりすると、「やっぱり日本人だからね。」と言われます。ですから、現地校では、話し方はもちろん、考え方も態度もイギリス人にならなければなりません。そして、いつもみんなに負けないようにと勉強します。日本人だからできないのだと言われたくないという気持ちがあるからです。
 しかし、補習校ではそれが全くありません。他の人に負けないためではなく、もっと知りたいから、本当の日本人のようになりたいから勉強をしています。補習校では、漢字が読めなくても、意味を間違えても、先生もクラスメートも気にしません。みんなが私と同じ間違いをたくさんするから、お互いを受け入れ、認め合っています。ですから、間違えることも怖くないし、それどころか、間違えるから覚えられるということが分かります。
 日本のテレビ番組やお笑い番組やお笑いタレント、大好きなスマップのことも、補習校でなら誰とでも話せますし、新しい情報も知ることができます。うなぎを食べても、ゆかりがかかった紫色のごはんを食べても大丈夫です。補習校では本当に自分でいられるのです。
 補習校で学ぶ中で、私はますます日本のすばらしさに気がつきました。同時に違う国の人々や文化を尊重することもできるようになりました。物事の楽しみ方、食べ物や外見などが全く違っても、その価値を認められる新しい「目」を与えられ、ボーダレスになってゆく世の中で、通用する適応力を身につけることができた気がします。
 これが、私が補習校で学んだことで、アクトンの高等部でも補習校を続けようと決心した理由です。補習校での5年間は、私のこれからの人生の土台となるとても大切な時間だったと、いま改めて強く感じています。
 
【評】  休み時間には笑顔いっぱいで級友と話していますので、こんな体験や思いをもっていたことに驚きました。辛い経験も栄養に変えていく強さがあれば、どこに行って何をしても大丈夫です。これからも補習校の仲間と刺激しあい助け合いながら、さらに大きく成長していってください。

《感想文》 「『江戸からのメッセージ』を読んで」 アクトン 中1
 1603年から1867年まで、約260年間続いた江戸時代は、「心の豊かさ」を持った人々が、平和に暮らしていた。
 江戸の人々は、江戸の町全体を自分の家のように使っていた。例えば、食事をするときは街中の屋台を利用し、応接間として公衆浴場の休憩所を利用していた。そこには、人と人との深い関わりがあった。
 このように生活のなかで江戸の人々は、人から直接ものを購入していた。ものを売る人々は、ものを作り、売り、直していた。それを買う人々は、売る人の苦労を思い大切に使っていたのだ。だから江戸時代は、リサイクルが当然のことであった。身の回りの物すべてが再利用できるもので作られていたこともある。約200年前にすでにリサイクルが行われていたことに驚いた。
 しかし、現代は家屋での生活が豊かになり、町の人との関わりも少なくなった。ほとんどの売り物は店に並んでいて、気軽に手に入れることができる。それによって、物を作る人、売る人の思いを考えず使って捨てている。今もリサイクルは行われているが、昔と比べ再利用できない製品が多い。しかし、環境を守るためにできるだけの努力をしていくべきだと思う。
 昔は「物の豊かさ」はなかったが、物を大切にし、お互いに助け合う「心の豊かさ」があった。物が豊かになった今、僕たちは「心の豊かさ」の大切さを忘れてはいけない。
 
【評】 じっくりと作品を読んで、筆者が伝えようとしたことをよく捉えています。物質的には貧しかった、江戸の人たちの「心の豊かさ」。現代の私たちの生活について、深く考えさせられますね。

《感想文》 「『葉っぱのフレディ』を読んで」 フィンチリー 中1
 「葉っぱのフレディ」は、全部でたった27ページ、そのほとんどが写真だけで文章がわずかな絵本です。
 昔読んだこの本を、13歳になった今、また読んでみました。葉っぱのフレディとその友達の葉っぱが昔に生活して、幸せに生きて幸せに死にます。4歳の私にとっては、これはただの悲しいお話でした、ところが、よく読むとバスカーリアの文章の深さ、そしてそこにあるメッセージに気付きます。生きるということ、死ぬということをどう受けとめるか、小さいときには難しすぎて分からなかったことですが、今の私には、とても哲学的で死生観について考えさせられました。
 死んだ葉っぱの「いのち」は、土や根っこや木の中の、目には見えないところで、新しい葉っぱを生み出そうと準備をしています。大自然の中では、無駄なものなどはなく、終わりは新しい命の始まりだということに気付きました。
 
【評】 写真とわずかな文章から、今のあなたが読みとったことは、とても奥深いものです。感性の鋭さを感じました。




BACK