こんぺいとう   
7月17日 vol.14
《作文》 「たからもの」 クロイドン 小2
 ぼくのかぞくみんなのたからものは家です。家のやねは赤ちゃいろで、かべは白です。
 家の中は、いつもきれいでリラックスできます。おうせつまでは、みんなといっしょにゲームをしたり、おはなししたり、テレビを見たりします。
 ぼくのいちばんすきなばしょは、ぼくのへやです。おもちゃや本がたくさんあって、キャビンベッドの下で本をよむのが大すきです。ぼくは、家にいると、とてもおちついてハッピーになります。
 これからもみんなとずっとこの家にいたいです。
 
【評】 先生も同じで、自分の家にいるのが大好きです。君のお家のようにきれいではありませんが、ハッピーになれます。そんなお家に住めるのも、お父さんお母さんのおかげです。感謝しましょう。

《小論文》 「経験するとは何か」 高等部2年
 イギリスに住んで4年、現地校での英語、そして補習校で学ぶ日本語という二重の生活がある中で、相手と会話するために、それ相応の知識が必要とされる。高度に発達した情報社会に生きる私たちにとって、「経験する」とは一体どのような意味をもつのだろうか。
 昨今、日本だけでなく世界の様々な知識が広く必要とされる。情報とは、私たちにとってなくてはならないものとなっている。インターネットや携帯電話で世界と簡単に繋がることができる私たちは、あふれる情報の中で常に取捨選択を繰り返していると言えるだろう。しかし、その情報の中から自分自身が体で経験し、実際に感じているものがいくつあるのかと問われると、そう多いとは言えない。
 身近な例として、テレビで報道される事件をとってみよう。私が最近見たニュースで、『ある女子生徒がクラスからのいじめに遭い、自殺に至った。』と聞いた。そこで私は一つの「情報」を得たが、『酷い、かわいそうだ。』以上には何もなく、しばらくするとすっかり忘れてしまった。実際にそのクラスの一員ではなかった私は、ニュースを見ただけで切迫感は一切なかった。つまりこの場合、私は全く別次元の一人として存在するだけで、私個人の客観的考えしかもてないのだ。
 では、ここに「経験」が加わるとどうなるのだろう。「失敗は成功のもと」という慣用句があるように、人間は失敗して、その欠点から学び、次につなげる。失敗という「経験」があり、そこに主観的に考えが生まれるとも言えるだろう。
 毎日更新される情報は、私たちに幅広く浅い知識を与えてくれる。まずは「情報」という皆が知り得る土台があり、その上に自分が持つ厚い「経験」がくる。情報の客観性と経験の主観性、その二つがあってこそ、自分にとって有利な「真の知識」となる。つまり経験とは「真の知識」を完成に導く、一つのパズルピースと言えよう。

 
【評】 すばらしいです。結論までの導き方に無理がなく、とても論理的な文章に仕上がっています。

《俳句》 フィンチリー 小6
菜の花や 風車をまわす 春の風
 
【評】 美しい光景が目の前に浮かんでくるようです

《俳句》 フィンチリー 小6
背くらべ ぼくの負けだよ ひまわりくん
 
【評】 ひまわりのように力強く伸びようとする成長期の姿が浮かんできます。

《観察文》 フィンチリー 小2
 せんしゅうの日曜日に家でミニトマトをかんさつしました。はっぱの形はカナダのこっきににています。色は、黄みどりとみどりです。はっぱはざらざらしています。はっぱのにおいは、ミニトマトのにおいです。
 くきの色は、下のほうがちゃ色で、上の方はみどりと黄みどりです。くきはふさふさしている短い毛がついています。くきの下のほうは太く、上のほうは少しほそいです。
 早く大きくなってほしいです。そしてミニトマトを食べて、どんなあじか知りたいです。
 
【評】 よく観察して、葉っぱやくきの形・色・においがとてもわかりやすく書けました。大きくなるのが楽しみですね。


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