こんぺいとう   
9月26日 vol.18
《作文》「ぼくのたからもの」 クロイドン 小3

 ぼくのたからものは、りんごの木です。
 このりんごの木は、ぼくが二年前にたねからうえました。ぼくが食べたりんごのたねをうえました。そうしたら、めが出てきました。
 でも、きょ年の夏、ありがそのまわりにすを作ったので、葉っぱが白くなりました。それで、ポットにうつしました。でも、葉っぱはかれてしんでしまったみたいでした。
 でも、今年の春、みどりの葉っぱが出てきました。ぼくはとてもうれしかったです。
 りんごの木は、15センチぐらいです。葉っぱも大きいです。ぼくは、毎日水をあげています。
【評】 Jくんのりんごのたねは、強かったのですね。15センチのかわいいりんごの木は、一年後にどんなに大きくなっているのでしょう。楽しみですね。漢字をたくさん使って、だんらくに分けて書けたのにも感心しました。

《詩》「補習校のせいかつ」 フィンチリー 小4

 宿題ができていない、
 と金曜日に
 なみだが出た日もあった。

 漢字テストの点が悪くて、
 くやしい日もあった。

 でも、
 土曜日の朝が来ると、
 日本語を話せる
 たくさんの友だちに
 会う楽しさでワクワクする。

 早起きなんて
 へっちゃらの
 土曜日が待ち遠しい。
【評】 補習校の生活の中での寧々さんのさまざまな気持ちがうまく表現できました。学校を楽しみにしている気持ちがよく伝わってきます。

《作文》「『羅生門』における「門」と「ニキビ」の役割」 アクトン 高1

 『羅生門』には、季節、時間帯、登場人物とその年齢といった要素が巧みに使われている。中でも特に「門」と「ニキビ」が二つの象徴として重要な役割を果たしているのではないだろうか。私は、下人の善悪に対する判断の変化が、この二つの象徴を通してあらわされていると思う。
 「ニキビ」は、下人にとっての関心事である。盗人すなわち悪となって生きていくべきか、それを潔しとせずに善のまま死んでいくべきかという問題を考えているときに、言及されている。「ニキビ」が初めて登場するのは、暇を出されたばかりの下人が、雨の中で羅生門の下に立っている場面だ。下人は、これからどうやって生きていくかを考えあぐねている。下人は自分の考えに疑問をもった場合の癖として、手を「ニキビ」にもっていっており、このことから「ニキビ」は、下人の心の状態の不確かさを象徴していると思われる。けれども、最後に着物を盗むときには、「ニキビ」にはふれておらず、迷いは消えている。この「ニキビ」にたいするしぐさは、読んでいるものをいつの間にか不安にする効果とともに、下人の心配事が容易なものではない上、下人が判断力の弱い人間であることを象徴する手段となっている。おそらく、盗みをした翌日、心の温かい人物に出会い、自分のしたことを咎められたら、また気が変わる可能性もあるだろう。さらには、読者が、下人がまだずいぶん若くて、それゆえに死を恐れていることに気づく根拠にもなっている。
 読者は下人と一夜をともにするだけではあるが、その短い時間に、下人の心情の細かい変化を目の当たりにする。下人の決定は生きるための苦しい判断であって、道徳に反するものである一方、老婆に「ほんとうにそのとおりか。」と聞かざるを得ないほど、その場限りの楽観さと未経験、自己中心的な考えしかできない人間の判断でもあることが描き出されている。その下人が善悪の判断の境界に立っていることを象徴するものが「門」である。五日前に暇を出されて、下人が壊れかけた「門」と同じような状況にあったことは容易に想像できる。仕事を失う前は世間知らずで道徳的にも善であったろう下人が、「門」をくぐることによって、一転して悪を当然のこととする人間になるのである。
 下人は生きていくために、現実に迎合し、悪人となった。その現実とは、「外には、ただ、黒々たる夜があるばかりである。」という文から、他人を犠牲にしなければ、生きていけない時世で、悪をせずに暮らせそうにない状況だと読み取ることができる。下人のような、短絡的で、経験の浅い人間が生きるために余儀なくとらされる悪道への入口である「門」が『羅生門』であったことは、作者が本来の『羅城門』のかわりに「羅生門」の字をあてていることに暗示されている。そしてこの物語が、この世の終わりのような、下人と老婆と死体しか登場しない、暗黒の世界である夜に設定されていることも、人間の心の暗部を映し出すのにふさわしく、注目に値するのではないだろうか。
【評】 技巧派、芥川の工夫をしっかり分析し、その効果を詳しく述べている点がすばらしいです。

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