こんぺいとう   
9月12日 vol.16
《詩》「空」 クロイドン 小5

 空
 ふしぎだなあ
 この青い空
 日本まで
 続いている

 空
 空の気持ちで天気がかわる
 くもり
 はれ
 かいせい
 雨
 雪
 雷
 ひょう
 きり

 ふしぎだな
【評】 空もお天気によっていろいろな顔を持っています。この空の果ての日本では、どんなお天気でしょうね。

《作文》「赤いわゴムをいっぱい見つけたよ!」 フィンチリー 小3

 赤いわゴムがどうろにおちています。いろいろな長さのわゴムがあります。赤色です。はばが0.5ミリメートルほどです。
 学校に行くと中、いつもひろってあそんでいます。ときどきちがう色があります。お母さんはちょっといやがっています。ぼくの友だちも、あつめています。
 ゆうびんはいたつの人がおとしているのがわかりました。
【評】 先生もゆうびんはいたつの人が落としているのは知っていましたが、ちがう色のわゴムがあるのは、気づきませんでした。よくかんさつしていますね。

《小論文》「真の知識」 アクトン 高2

 柄谷行人著「場所と経験」は、「真の知識をもつ」ことの意味を考えさせる評論である。その中で知識をもつにあたって重要となってくるのが、「情報」と「経験」の2つである。はたして、我々人間は、情報と経験を得れば、「真の知識」をもてるのだろうか。
 確かに、人が外界から習得できるものは基本的に二つ、情報と経験である。事実として修めるさまざまな事柄が情報、自分が身をもって体験し、理解したのが経験だ。この2つが我々の知識の基盤になるのだろう。その二つを豊かにもっていれば、「真の知識」をもてると言えなくもない。しかし、見事に情報も経験も得尽くした者でも、完璧に何でも説明ができるかというと、当然そうではない。つまり、情報と経験を得ても、この「真の知識」は、もてないのだ。
 具体例を挙げると、例えば「人間」という理念がある。アリストテレスのような偉大な哲人なら、人間に関する複雑な理論を知り(つまりは「情報」)、その上、長年の他人との関わりで得た、人間に関する「経験」ももっている。ところが、もし自分の母親のもっともきらいな料理を問われたら、意外と答えられないことが十分あり得るのだ。よってその人は「母親」、つまり「人間」の一人について完全な「真」の知識をもっていないことになる。
 ある人間についてもっとも知識をもち、理解しているのは、その人間自身であるはずだから、そのある人についての「真の知識」をもつには、その人に成りきらねばならない。その人に「成りきる」とは、その人のように考え、行動する、言い方を変えれば、その人の魂が乗り移るということだ。それがもしできれば、「真の知識」は得られるだろうけれど、当然人間の可能性には限りがある。他人の魂が乗り移るようなことは、通常有り得ない。
 「人間」という理念のみではない。どのような事柄でも、「真の知識」は我々の普通の知識より一段階上である。したがって「真の知識」をもつことは不可能なのだ。これこそソクラテスの言った「無知の知」である。我々人間は「知らないことを知っている」のだ。どんなにたくさん知識を得ても、「十分」ということはない。が、人は脳に情報や経験を大事に保管するだけではなく、それに思考を加えることができるのだ。人間を他の動物と違うものにするのが、この遙かに発達した思考だ。それを使ってこそ、単純な情報や経験を一段階上のレベルに上げることができるのだ。たとえ「真の知識」には到達できなくても、それに無限に近付くことは間違いなく可能である。ところが、そうするにはただ「情報」と「経験」だけではなく、それらを発展させる「思考」も不可欠である。
 以上のことより、「情報」と「経験」のみでは、「真の知識」をもつことは不可能なのだ。
【評】 非常に論理的で、かつ独創性豊かですね。真の知識を得ることなど不可能なのだということを非常に分かりやすく解説しています。

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