こんぺいとう   
5月2日 vol.3
《作文》「おみせやさん」 フィンチリー 旧小1

 ほしゅう校で、おみせやさんごっこをしました。ぼくは、おかしやさんになりました。ぼくのグループは、ビスケット、チョコレート、あめ、ガム、おせんべいなどをうりました。うり上げは、あわせて八千五十円でした。一ばんうれたのは、あめでした。いっぱいうれてよかったです。
 ぼくは、ジーぐみのくだものやさんで、ラズベリー106こを16万円でかいました。とてもたのしい一日でした。
【評】 16万円のラズベリーは、どんなあじでしたか。先生も一どたべてみたいです。

《作文》「わたしの家の階段」 アクトン 旧小4

 ぼくは、Nさんの家の階段だ。
 Nさんはいい子なのに、階段の上だけは、どたばた歩くのが玉にきずだ。急いでいるときに、つい走ってしまうようだが、ふまれているこちらとしては、とても迷わくだ。
今日も、起きるとするか。ううっ、こしがいたいなあ。晴奈さんのどたばたのせいだ。いいかげんにしてほしいよなあ。
「ドタドタ ガンガン ダンダン」
うわあ、またこれだ。
「いいかげんにしてくれ!ぼくは、君のせいで毎日こしがいたいんだぞ!」
ほほう、さすがにびっくりしたな。きょろきょろ見回している。よおし、毎日この手でいくか。ひっひっひっ。
「ドタドタ バンバン ドンドンドン」
ひいっ、ききめなしだ。手がつけられないよ。今日もがまんか。
【評】 Nさん、家ではもっとゆっくり階段を上がってあげましょうね。

《作文》「私にとっての補習校とは」 アクトン 高1

 私にとっての補習校とは、小さな日本である。そこにいる者は、皆日本語で話し、日本の文化にふれ、日本をさらに深く知る。私にとって居心地のよい特別な場所である。

 人生が一本の道なら、補習校は、今は意味がなくても、そこで拾い上げた物が、後で開かないドアの鍵となり得る、脇道のようなものだ。

 私にとって補習校とは、空港である。様々な人たちが「学びたい」という共通の目的と、文化という違う背景を持ちながらも集まって一緒に成長していく場所だ。

 補習校とは、安心して素直な自分でいられて、休める場所だ。現地校では無理をしてまじめな自分を解放してやれる場所である。

私にとって「補習校」というものは、フルーツのようなものだ。最初は種で何もできないけれど、水や光にあたって、それがエネルギーとなり、どんどん大きく成長していく。そうしてフルーツは、おいしくなっていくのだ。大人になっていくのだ。

 私にとって補習校は、川だ。はじめは小さくてあまり見所のないものであるかもしれないが、通い続けた人は、最後には大河のように立派になれると私は思う。
 川底に転がる石みたいにつらい時もあるが、それを乗り越えて成長させてくれる川の流れが、先生だ。いつも励ましてくれて、そのおかげでみんなが海へ出ることができる。

 補習校とは、坂道です。つらくても長い道を歩かないといけないけれど、まわりにクラスメイトいっぱいいて、一緒に頑張って歩く坂道です。

 私にとっての補習校とは、異国のようで、それでいてなつかしい場所です。少ししか知らない日本をより近く感じられる補習校は、私に日本を見せてくれる望遠鏡です。

 補習校は、「日本語」という言語を学ぶだけでなく、「日本」という別の世界へのかぎを一人一人に与えてくれる大切な場所です。
【評】 「私にとっての補習校」とは、どういう意味を持つ場所なのかを60字という制限の中で自由に表現しました。直喩や隠喩を活用して個性的な定義文が書けました。

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