こんぺいとう   
1月31日 vol.35
《作文》「わたしのボール」 フィンチリー 小3

 「ああ、ボールがあ。」とさけんでいる間に、遊んでいたサッカーボールがこおった池のど真ん中に転がっていってしまいました。父と弟といっしょに寒い日に、公園の池の上でボールを転がしていたときでした。池は、プールの半分ぐらいあるので、わたしが手をのばしてもとれませんでした。手が10倍ぐらいのびれば、いいのに…と思ったけれど、むりです。
 そこで、父と弟とどうすればとれるか相談しました。まわりを見たけれど、使えそうな物は何もなかったので、池の氷を石のかわりにして投げました。池から大きい氷をとって、地面に落として小さくわりました。その小さな氷をボールにめがけてなげました。私のよそうは、氷がボールにあたって、ボールが自分の方に転がってくるはずでした。でも何どやってもむりだったので、その日はあきらめました。
 3日後に公園に行ったら、まだボールがあったので、4日目の朝にまた行きました。その日は、さらに寒かったので、ぜったいに池がかちんこちんにこおっていると思いました。父はロープを、私は長いぼうを、そして弟はデッキブラシを持って行きました。ブラシにロープをつけてとる方法を考えていたのです。
「これならきっととれる。」
とわくわくしながら行ってみたのに、ボールが消えていました。きっとだれかがこおった池の上を歩いていって、とっていったのだと思いました。4日間もとる方法を考えたのに、ざんねんでした。私もちょっと足をのせてみたけれど、こわかったです。
【評】 せっかくよい方法を考えたのに、ざんねんだったね。

《作文》「スキー」 クロイドン 小2

 今日は、オーストリアに一週間スキーをしに行く日です。朝早くおきてひこうきに、2時間のりました。オーストリアはとてもきれいな国です。大きな船みたいな山がたくさんあって、アスパラガスのような細い木がいっぱいはえています。やわらかいソフトクリームみたいな雪やシャリシャリしたこおりのような雪もありました。
 これが2回目のスキーです。さいしょはリフトにのるのがこわくて、手つだってもらったけれど、3回目くらいから一人で上手にのれました。
 1回スキーをしたことがあるので下にすべり下りるのはかんたんにできました。とてもすべりやすい雪で、天気もとてもよかったので、サーフボードにのっているような感じでした。
【評】 オーストリアのきれいなけしきや雪のようすが、とてもよくつたわってきました。天気もよくてすばらしい一日でしたね。

《作文》「『おおきなかぶ』つづきのはなし」 アクトン 小1

 とうとう、かぶはぬけました。
 おじいさんは、世界中の人にかぶを分けてあげました。
 たねを世界中の人がまきました。そして、かぶだらけになってしまいました。
 おじいさんは、大よろこびして、シチューをたくさん作りました。
 おじいさんは、有名になり、かぶの家を手に入れました。おじいさんは、とてもうれしかったそうです。めでたし、めでたし。
【評】 せかいじゅうにかぶがひろがって、おじいさんはとってもうれしかったでしょう。すてきなはなしになりましたね。

《作文》「『知っている』ことと『知らない』こと」 アクトン 高1

 僕は現地校の友達によく日本のことを聞かれます。例えば、「相撲」のこと。僕は、「うん、知ってる。」と答えます。なぜなら、実際に見たことがあるので「知っている。」と思うからです。しかしながら、そこで「どこから相撲は始まったの。」と聞かれたとすると、僕には答えられません。確かに僕は、相撲を見たことがあるため「知っている。」と思います。でも、相撲の歴史や起源、背景は全く理解していません。そこではっとして、自分の心に問いかけます。「僕は本当に相撲を知っているのだろうか。」と。
 よく考えてみると「見たことがあること」と「知っていること」は全く違う概念だと思います。知っていることは、その起源、歴史そして意味などを包括的に理解していることだと思います。特に僕は日本に住んでいないため、日本のことについては、見ることと聞くことによってのみ、情報を得ることが多いと思います。そのため、その背景を考えることなく、見ただけで真実を知っていると思い込み、それ以上、深く考えたり調べたりしようとしません。そのため非常に浅はかな知識で終わってしまいます。これでは「知っている」ことにはならないかもしれません。世の中にはインターネットやテレビなど、色々なメディアを通して、多くの情報が溢れています。その情報を聞いたことがあるだけで、あるいは見たことがあるだけで「知っている」と考えてしまいがちです。情報が多く流れているため、じっくりとそれについて調べてみる時間もありません。そのため、これだけ多くの情報に接していても、結局、何も得られていないのかもしれません。
 ものごとを完璧に「知ること」は不可能でしょう。それをふまえた上で、何が重要な情報なのかを判断し、それについて掘り下げて調べること、それが情報が溢れている現在、最も重要な「知ること」なのだと思います。
【評】 実体験を出発点にして「知っている」ことと「知らないこと」について深く考えたことがよく分かる作文です。自分が「知らない」ことを「知る」のが人間としての成長の原点なのかもしれません。

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